暑い暑い日差しの中、知恩寺にお参り。

暑い暑い日差しの中、知恩寺にお参り アイキャッチ画像 先祖調査

今朝は最近の中ではちょっとだけ涼しい朝でした。風があって、ムッとした蒸し暑さが無く過ごしやすかったですね。

そこで数日前から調べものに行きたかった知恩寺に行こう、と思い立ちました。

私はここ数年来、洛陽四十八願所という巡礼のお参りをしています。先祖の一人が巡ったお参りで、私も追体験したくて始めた巡礼です。その第二十四願が知恩寺。実は2年ほど前に一度お参りに行ってます。しかしちょっと疑問があって、それを解決するためにもう一度行く機会を待っていました。

以前四十八願でお参りした時の記事はこちら

それからもう一つ、その近くにやはり四十八願寺の一つである知恩寺の末寺があり、その下見も兼ねて見に行きたいと思っていたので、今日はチャンス♪と自転車を飛ばしてきました!

出町柳なので御所の中を通るのが一番安全で早道。

①知恩寺への道のり 御所の中
御所(京都御苑)の中に続く自転車道?!

そのあと鴨川を渡り、百万遍へまっしぐら!…なんですが、何を間違ったか、鴨川を渡った直後のスーパーに自転車を置いてしまったので、知恩寺までかなり長い時間歩くことになり… 一度行ってるのにねぇ。鴨川からすぐだと勘違いしたようです。もう少し行けば、百万遍の角には2か所も駐輪場あるのに~

とはいえ、時間帯はまだお昼前、32度くらいしかないから歩けるはず。しかしこの直射日光は、高齢者一年生の私には思ったよりも強烈に刺さりました…

お寺の総門に着いたころには頭からきっと湯気が出てたはずw

②南側総門

なんとか総門前に到着。あっついあっつい!
でも、門をくぐったらあら不思議、調べたかったことがムクムクと湧いてきて、気が付くと暑さを忘れてしまってました!

さて今日の調査対象は2つ。阿弥陀堂・勢至堂です。私の抱いている「謎」がこの2つのお堂にあります。またそれは後に書きますね。

しかしまずはここにある多くのお堂、ほぼ全部撮ってきたので見ていただきましょう♪

↓最初に総門入って左側から。小さな名もなきお社の右に阿弥陀堂が…

入って左:名前不明のお社と阿弥陀堂

↓もう少し進んで行くと阿弥陀堂の正面に着きます。

⑦阿弥陀堂

法然上人600回忌の文化8年(1811年)に完成。文政2年(1828年)に一度焼失していますが、天保3年(1832年)に再建されているので、今のはその時のお堂ですね。

お参りの時の記事はこちらでどうぞ。別ブログ(上で既出)に飛びます。

↓総門からのこの道をまっすぐ進んでいますよ。先には御影堂が見えています。

御影堂に向かって右手にあるのが釈迦堂。もともとここに移転してきたときに一番にできた本堂です。

⑥真正面:御影堂

↓阿弥陀経の石碑が手前右にありますね。お賽銭を投げ、手を合わせてはパシャリパシャリ。

⑧釈迦堂と阿弥陀経石碑

↓釈迦堂の手前左には「圓光大師七百年紀念」の碑が。計算すると、明治44年(1911年)に建ってるはず。右には南無阿弥陀仏の碑が。

⑨圓光大師七百年紀念

↓その北側には2つ目の目的地、勢至堂、また北には納骨堂があります。納骨堂はプライベート感が高いので撮影してません。

⑪勢至堂

法然上人の幼名が勢至丸であることから、お上人は勢至菩薩の生まれ変わりと考えられています。

今回見たかった2つのお堂、阿弥陀堂・勢至堂。私の疑問の中心にあります。この3つ、文化7年(1810年)に阿弥陀堂勢至堂(納骨堂も)が場所交換したそうなんです。もう1つのブログに書いてるのですが、知恩寺は四十八願所の1つでした。それで、そのころその阿弥陀様のお参りの列が引きも切らないということで、すぐにお参りできるよう、門を入ったところに阿弥陀様を移したということでした。

そのころ、門入って左は勢至堂と納骨堂がありました。そして阿弥陀様は右手奥にあったと。そこは安楽院という塔頭だったそうで、それらが場所交換をしたそう。しかしなぜか交換後は安楽院という名は消えて阿弥陀堂になりました… これが私が持っている「謎」なんです。

安楽院はどうなったの?

阿弥陀堂の阿弥陀様は、間違いなく安楽院に安置されていた仏さま?

そう、今回の私の目的というのは、この「謎」を解く前に、これらが場所交換をしたという感覚をつかみたかったのでした。場所の広さ的に、勢至堂と納骨堂が左の空間に本当に建ち得たのか?安楽院は本当に勢至堂の場所に建っていたのか?もちろん見ただけでは何もわかりませんが、私はちょっとタイムスリップをして、そのころの風景を想像してみたかったのです。

暑い暑い中でしたが、境内を隅々までグルグル回って200年前の風景を楽しむことができました。他の人から見たら、お昼どきの炎天下でTシャツGパン姿のおばあちゃんがフラフラ歩いてるだけに見えたでしょう笑

またいずれ、この「安楽院の謎」は「ほんまもん京都がわかるブログ」のほうで詳しくマニアックに書いてみたいと思います。

そのあと真正面の御影堂に上がり、法然上人にご挨拶をしました。あ、お坊様とお話してくればよかったなぁ。。

↓写真続き。御影堂の左には弁財天と、写真には撮れなかったけど鎮守堂がありました。

⑫御影堂西側:左手に弁財天

↓鐘楼は朝鮮様式の珍しいものだそう。

⑬鐘楼

↓西門に向かいながら振り返り、釈迦堂を見たところ。ちょっと石段がずれてる。本堂への道だから、昔はまっすぐだったのかな?

⑭西から釈迦堂を見る

↓西門から見るとこんな感じ。石段のずれが気になる… すみません、どうでもいいことでした。

⑮西門から釈迦堂を見る

本来の本堂から伸びる道にある門なので、昔は総門が建ってたのでは?とも思うけど、まだ資料にあたってないのではっきりとはわかりません。私が参考にしたサイトの中には、もともとは総門がここにあった、と書いてあるのもあります。でもまぁこれは自分で調べてから書こうかと。

⑰西門左の3つ一番右
西門左3つの左2つ

いろんな碑が建ってましたが、四十八願所の碑はありませんでした。残念。

⑱鴨川デルタ

帰り道に見た鴨川デルタ。右が高野川、左が賀茂川でここが合流点。近所の方や京大や同志社の学生さんの憩いの場となっています。

撮影地点は賀茂大橋なんですが、実はこの直前自転車で転びました。これから橋を渡るっていうところの信号で、止まろうと思って左足を地面に着けようとしたら届かなくて… で、そのまま左側へズデーン!後ろにいた若いお兄ちゃんが「なんでこんなところでコケるの?」って顔してたのですっごい恥ずかしかったです。その前に買ったバナナは歩道に飛んでいくし、足さすりながら取りに行ったし…

幸い青あざがいくつかできただけで骨折などせずホッとしましたが、この写真撮ってた時は左足が痛くて痛くて、よく写真撮ろうなんて思ったなぁとww

大体大きな道路は両側がちょっと低いから気を付けないといけなかったんです。今後は細い道を通ることを徹底しようと思います。安全に走れる道順を考えねば。あ、これもブログに書けそう♪

明日はまたお買い物でいくつか回ります。気を付けていかなくては。

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